日本語教師のさくら先生です。この仕事を始めて10年が経ちました。それを機に、自分の振り返りの意味も込めてブログを立ち上げることにしました。
このブログでは、日本語教師としての経験だけではなく、次々と変わる法律や外国人の在留申請に関する情報なども記事に残していこうと思っています。現役の日本語教師の方はもちろん、これから日本語教師を目指そうとお考えの方にも、楽しんでいただけるブログにしていこうと思っています。
日本語教師になる前、私は事務員として働いていました。特に大きな不満はありませんでしたが、ある日、ふと「このままおばあちゃんになってしまうのは嫌だ!」という気持ちが自分のなかに湧いてきたんです。
当時勤めていた会社では、女性でも定年まで働く方が多く、「居心地のよい職場」ではあったのかもしれません。でも私にとっては、「毎日に変化がなくてつまらない」という感覚がどこかにありました。
以前から韓国語を独学していたこともあり、語学への関心がありました。普通であれば、韓国語に関係する仕事を選ぶところですが、私は「韓国語を学ぶのってこんなに大変なのに、日本語を学ぶ外国人はどれだけ苦労しているんだろう?」という考えに至りました。
韓国語はハングルを覚えれば、意味はわからなくても看板や本の文字を読むことはできます。しかし日本語には「ひらがな」「カタカナ」「漢字」があり、それらを組み合わせて文が作られます。
「えっ、これは大変すぎる!」と感じ、外国人の日本語学習をサポートできないかと考えるようになりました。そうして行き着いたのが、日本語教師という仕事でした。
ただ、当時はSNSが普及しておらず、インターネットで調べても日本語教師についての情報は今ほど充実していませんでした。さらに調べていくと、資格取得のために養成講座に通うことが近道だということがわかりましたが、費用は50万円近く。
以前の私なら「そんなの現実的じゃない」と諦めていたでしょう。しかし「何かを変えたい!」という気持ちが勝り、当時の仕事を辞めて養成講座に通い始めました。「逃げ道をなくせば、最後までやり遂げられる」——そう自分に言い聞かせた決断でした。
収入がなくなるという選択は、今振り返ると青ざめてしまいますが、そのおかげで大変な時期も諦めることなく乗り越えられたのだと思っています。
養成講座を修了したからといって、すぐに日本語教師として働けたわけではありません。ハローワークで見つけた日本語学校の面接と模擬授業を受けましたが、2週間後に不採用の通知が届きました。
「まだ日本語教師として認めてもらえるレベルじゃないんだ」「あんなに勉強したのに……」という気持ちが湧いてきて、すぐに次の学校を探す気にはなれませんでした。
会社も辞めていたため、収入を確保するために、コンビニや工場での箱詰め作業、園芸店での出荷作業、スポーツクラブの受付など、ありとあらゆるアルバイトをしました。しんどいこともありましたが、人間的にも大きく成長できた時期だったと思っています。
日本語学校に通う留学生の中には、アルバイトをしながら勉強している方も多くいます。「私もいろんなアルバイトをしたことがあるよ」と話すと、学生たちが親近感を持って接してくれるんです。あの経験が、今の授業に活きています。
もし日本語学校の面接になかなか受からない……という方には、いろいろなアルバイトを経験してみることをおすすめします。多様な人間関係や視点が、日本語教師として働き始めたときの大きな財産になります。
10年が経ち、日本語教師として歩んできた日々を振り返ってみると、あのとき仕事を辞めてでもこの道を選んだことを後悔していません。むしろ、この人生を選んでよかったと、心から思っています。
正直、楽しいことばかりではありませんでした。つらいこと、納得できないこと、自分ではどうにもできないことも数多く経験してきました。それでも日本語教師を続けてこられたのは、それ以上に嬉しいことや、やりがいを感じる瞬間があったからだと思います。
おそらく、体が動く限り、私は日本語教師であり続けるんだろうと思っています。日本語教育への関わり方は変わっていくかもしれませんが、他の仕事をしている自分がまったく想像できません。それくらい、この仕事には魅力があります。
今の自分があるのは努力のおかげだけではありません。同じ志を持った仲間との出会い、働きやすい環境、周囲の人間関係——さまざまな要因が重なって、今の自分があると思っています。
複数の日本語学校でさまざまな授業形態を経験し、数多く失敗もしてきて、やっと辿り着いた今です。
今後はこのブログで、私の日本語教師歴や授業で工夫したこと、業界の最新情報なども紹介していく予定です。ぜひ引き続き読んでいただけると嬉しいです。
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